高千穂の「釜炒り茶」と日之影の「竹細工」|宮崎・ユネスコエコパークの手仕事を巡る旅-0

高千穂の「釜炒り茶」と日之影の「竹細工」|宮崎・ユネスコエコパークの手仕事を巡る旅

宮崎県の北部、祖母・傾・大崩ユネスコエコパークの山あいには、急峻な地形という厳しい自然環境のなか、その恵みを最大限に活かそうと人々が重ねてきた知恵と工夫があります。ここには、そんな営みのなかで代々受け継がれてきた手仕事があります。日本茶生産量のわずか0.5%という釜炒り茶を求めて、海外からやってくる人がいる。背負い籠「かるい」の注文は、いま3年待ち。高千穂町と日之影町、2つの町を訪ねました。

ユネスコが認めた「自然と人の共生」の土地

宮崎県の北部から大分県の南部にまたがる山岳エリアは、「祖母・傾・大崩ユネスコエコパーク」に認定されています。ユネスコエコパークは、自然の保護と、人の暮らしや持続可能な利用の両立が評価される地域に与えられる国際的な認定です。

さらに宮崎県側の山間地は、「高千穂郷・椎葉山地域」として世界農業遺産にも認定されています。今回訪れる高千穂町と日之影町は、どちらの認定エリアにも含まれています。まずは、釜炒り茶の産地を訪ねて高千穂町へ向かいました。

【高千穂町】日本茶の0.5%「釜炒り茶」を守り続ける、標高350mの茶畑

高千穂の中心部から車で約10分。山道を登っていくと、標高350mの高台に、5ヘクタールにわたる甲斐製茶園の茶畑が広がっています。畝が整然と並ぶ緑の絨毯の向こうに、幾重にも重なる山並みが青くかすんで見えます。

出迎えてくれたのは、高千穂で農業を営んできた甲斐家の4代目、お茶では3代目の甲斐雅也さん。ここで作られているのは「釜炒り茶」と呼ばれるお茶です。一般的な煎茶が茶葉を蒸して仕上げるのに対し、釜炒り茶は約300度に熱した鉄釜で茶葉を炒って作ります。かつては集落に「茶工場(ちゃこうば)」があり、そこで手炒りで作られていたといいます。

日本茶生産量のうち、釜炒り茶が占める割合はわずか0.5%。そのうちの約半分が、この高千穂を含む宮崎県北部の山間地で作られています。

今回参加したのは、茶園を歩き、6種類の飲み比べを楽しみ、自分だけのブレンド茶をつくる約2時間の体験プラン「釜炒り茶満喫体験」。まずは、釜炒り茶を石臼で挽いた抹茶と、お茶菓子でひと息つきながら、甲斐さんに茶園の話を伺いました。

なぜ、この土地に釜炒り茶が残ったのか。甲斐さんに尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「水が、なかなか使えなかったから、なんですよ」
高千穂の山間地は水源から遠く、水を自由に使うのが難しい土地でした。
 

江戸中期、京都・宇治の茶農家・永谷宗円が茶葉を蒸して仕上げる「蒸し製煎茶」を発明し、全国のお茶が煎茶へと切り替わっていきました。しかし高千穂では、蒸し製に切り替えることができず、結果として古くから伝わる釜炒り製がそのまま残ることになったのです。

抹茶を飲み終え、目の前の茶畑へ向かいます。7月末の日差しは強く、茶葉の表面が艶やかに光っています。
よく見ると、畝ごとに緑の濃さや葉の色が微妙に違うことに気づきます。

「うちは、単一品種で仕上げる『シングルオリジン』にこだわっているんです」

茶園で栽培しているのは、宮崎県生まれの「雲海」と「高千穂」、静岡県生まれの「香駿(こうしゅん)」など13品種。そして樹齢70年を超える在来の木も残しているといいます。同じ茶園から採れた茶葉でも、品種が違えば香りも味もまったく違う。それぞれの品種の個性を、混ぜずに1杯のお茶として仕上げる。それがシングルオリジンの考え方です。

もうひとつの特徴が、有機(無農薬)栽培。茶畑すべてが有機です。

「釜炒り茶は香りが特徴のお茶で、旨味を強く出す必要がない。だから、旨味の元になる窒素肥料や化学肥料を大量に入れなくてもいいんです。有機栽培に取り組みやすい製法なんですよ」

6種類の飲み比べ、同じ茶園から、これだけの表情が生まれる

茶畑をひと回りしたところで、加工場に戻ります。テーブルには、6種類の茶葉と、それぞれを淹れるためのガラスポットや急須が並べられていました。

まずは1杯目、甲斐製茶園の看板商品「釜いり茶『特上』」。第69回全国茶品評会釜炒り茶の部門で最高賞の農林水産大臣賞に輝き、日本一に選ばれた一品です。透きとおった淡い黄金色を口に含むと、爽快な香りが鼻に抜け、渋みはほとんどない。すっきりとした後味ながら、旨味はあえて控えめ。「これが釜炒り茶か」と、最初の一杯で腑に落ちる感覚がありました。

「釜炒り茶は、香りを楽しむお茶。旨味で押すのではなく、香りが立ち上がる余白を残しているんです」

その香りに惹かれ、日本茶を扱う海外の店やイベントで甲斐製茶園のお茶に出会い、わざわざこの茶園を訪ねてくる外国人もいるのだそうです。

続く2〜5杯目は、烏龍茶と紅茶を2種類ずつ。西臼杵郡は伝統的な釜炒り茶の産地ですが、その技術を活かして烏龍茶や紅茶の生産にも取り組んでいます。
同じ茶園で育った茶葉が、品種と製法の掛け合わせでこれだけ違う顔を見せる。茶畑で聞いた「シングルオリジン」の意味が、ここで初めて言葉ではなく味として理解できました。
最後の6杯目は、ほうじ茶で口の中をやさしくリセット。

世界にひとつ、自分だけのブレンド茶

6種類を味わい終えると、最後は自分だけのブレンド茶をつくる時間です。ベースとなるお茶を選び、そこに好みのハーブを組み合わせていく。ハーブは、地元の山で採れるクロモジやジャスミン、シナモンバジル、ローズヒップなど、ハーブもすべて有機のものが並びます。

香りをかぎ、自分が飲みたいお茶の味を想像しながら、少しずつ混ぜ合わせていく。完成したブレンドには、自分で名前をつけて、半分はその場で味わい、半分は持ち帰ります。

茶畑を歩き、6種類を飲み比べ、自分だけの一杯を作る。約2時間の体験は、釜炒り茶の奥行きに触れる時間でした。
その奥行きを、ぜひご自身で確かめてみてください。

Column

甲斐製茶園すぐそばの下野八幡大神社へ-1

甲斐製茶園すぐそばの下野八幡大神社へ

甲斐製茶園から車で1分。鎌倉初期に創建された下野八幡大神社があります。国の天然記念物である樹齢約900年のケヤキやイチョウが境内を守り、11月には夜通しの神楽が奉納されます。甲斐雅也さんもこの神社の氏子であり、神楽の舞い手のひとり。

茶園のあるこの一帯は、地元で「長尾野(ながおの)」と呼ばれる集落。その地名の由来には、この神社にまつわる大蛇の伝説が残されています。

下野八幡大神社

【日之影町】竹細工の名工・廣島一夫が遺した「用の美」

高千穂町から車で約20分。五ヶ瀬川沿いに東へ進むと、日之影町に入ります。深いV字形の渓谷が刻まれ、山の斜面には棚田が広がる山村です。この土地には、生活の道具として竹を編み続けてきた職人たちの系譜がありました。

町の中心部にある「日之影町竹細工資料館」を案内してくださったのは、日之影町観光協会事務局長の小川淳さん。館内には、大小さまざまな竹製品が展示されています。背負い籠、飯籠、ざる、川漁用具。どれもかつて、あるいは今も、この土地の暮らしの中で使われてきた道具ばかりです。

その中心にいるのが、廣島一夫さん(1915年~2013年)。15歳で日之影町内の竹細工職人・工藤正則氏に弟子入りしてから、亡くなるまでの生涯を竹細工に捧げた職人です。1988年、アメリカ・スミソニアン協会国立自然史博物館に作品約170点が収蔵。1992年、77歳のときに国の「現代の名工」に選ばれ、2002年には大英博物館にも作品が収蔵されました。

蓋がどの角度からでも合う、真円の飯籠

「まず、廣島さんの仕事を見てください」小川さんが、飯籠を一つ手に取りました。
一見すると素朴な竹の籠。しかし、蓋を取って戻すとき、どの角度から乗せてもすっと密着します。

「これ、真円なんですよ。手で編んで、歪みなく真円にする。廣島さんにしかできなかった仕事です」

冷蔵庫のなかった時代、炊いたご飯を入れて保存するのが飯籠の役目。竹を編んだ籠は通気性を保ちながら、蒸れを防いでご飯の保存に最適でした。ただの生活道具ですが、蓋が真円で合うことで湿度と鮮度が守られる。機能を極めた先に、美しさが立ち上がってくる。廣島さんの仕事の芯にあるのは、そういう考え方でした。

米粒は漏らさず、水だけを落とす

もうひとつ、小川さんが見せてくれたのが、酒屋で使われていた水切り籠(さかやこめあげじょうけ)です。焼酎づくりの現場で、洗った米をあげて水を切るための道具。

「水切れが良くて、米粒が一切こぼれない。この両立が難しいんです」

竹ひごの隙間を細かくすれば米は漏れないが、水切れが悪くなる。隙間を広くすれば水はよく切れるが、米粒がこぼれてしまう。廣島さんは、竹ひごの断面を三角形に加工することで、この矛盾を解決しました。米粒ともみ殻のサイズ差を指先で捉えた、繊細な設計です。

「しかも、釜縁で軽く叩くと、米が剥がれるように竹ひごが組まれている」

道具は、使う人の動きを知り尽くしていなければならない。廣島さんがひたすらに作り続けたのは、そういう道具でした。

「かるい」の名を全国に知らしめた、飯干五男

日之影で古くから、農作業や山仕事の道具として使われてきた背負い籠が、「かるい」。今もこの土地の暮らしの中で、現役の道具として使われています。

その「かるい」を全国に知らしめたのが、飯干五男さん(1928~2017)。1969年、日本民芸公募展に「かるい」を初出品し、伝統技術優秀賞を受賞した職人です。そして、その飯干さんに弟子入りし、廣島さんからも技を学んだのが、名古屋出身の職人・小川鉄平さんでした。

日之影の竹細工の現在は、どんな姿をしているのか。その系譜を継ぐ職人の話を聞くために、小川鉄平さんの工房へ向かいました。

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「道の駅 青雲橋」レストランの灯り-1

「道の駅 青雲橋」レストランの灯り

日之影町の道の駅「青雲橋」内にあるレストラン「ひのおかげ」に立ち寄ると、天井近くの壁に、竹で編まれた照明を見つけました。よく見ると、それは背負い籠「かるい」。日之影の暮らしの道具が、旅人を迎える光になっていました。食事の際には、ぜひ見上げてみてください。

道の駅 青雲橋

日之影の竹細工、今も続いている手仕事

工房を訪ねると、小川鉄平さんは「かるい」を編んでいる途中でした。本体はすでに編み上がり、目の前で最後の縁の仕上げが編み込まれていきます。
日之影に移住したのが25年前、20代のとき。修業を経て独立してから、この土地で「かるい」を中心に、さまざまな竹製品を作り続けています。

「今、注文が3年待ちなんです。もう新規の受注は止めています」

もともとバックパッカーだったので、背負い籠には自然と興味があったといいます。旅の中で日之影の「かるい」に出会い、この土地に来ました。

鉄平さんが手にしていた「かるい」を、あらためて見せてもらいます。底は平らではありません。
 

「傾斜地に置いても、中身がこぼれにくいんです。底が平らだと山道では転がってしまうから」
 

上部が広く開いているのはなぜかと尋ねると、こんな答えが返ってきました。
 

「一部は飾りだと思うんです。荷物の重心を上に持ってくると背負いやすいという理屈もありますし、作る側から言えば、まっすぐ立ち上げるより広げた方が縁の始末がやりやすい。それに、昔は各家庭にいくつも『かるい』があった時代なので、ちょっとかっこいいものが欲しいという気持ちもあって、そこに職人が『こういうのはどうだ』と提案して広まったところもあったんじゃないかと思うんです。ただそこまでは、かるいが日常だった世代ではないので分からないですけど」

材料の竹は、10月の新月の頃に、1年分をまとめて切るといいます。この時期の竹は、タケノコに養分を使い切っていて虫が入りにくく、長持ちするといいます。

背負い紐は、藁を編んで作ります。その藁を得るために、米も自分で育てる。竹も、藁も、暮らしの中で自分の手で用意する。

「竹はどんどん生えてきますし、それを大変な思いをして手仕事で、暮らしを豊かにするものに変えていける。それは、結構いいことだと思うんです」

編む手は、話している間もずっと動いていました。

【まとめ】山の暮らしから生まれた、ふたつの手仕事

甲斐製茶園で茶の話を聞いていたとき、甲斐さんがこんなことを言っていました。

「昔の人は、山に仕事に行くと、その場で竹を切って器を作って、山茶を採って、火を沸かして飲んでいたそうです」

日之影の竹細工職人・鉄平さんの工房で、竹を編む手を見ていたとき、その言葉がふと蘇りました。

竹細工と釜炒り茶。今回訪ねたふたつの手仕事は、離れた場所で別々に営まれている異なる仕事のように見えて、この土地の人々にとっては、竹もお茶も、山の暮らしの中で身近なものでした。山を歩き、必要なものを自分の手で作り、あるいは自分で採ってきて、暮らしを回していく。その延長線上に、日之影の「かるい」があり、高千穂の「釜炒り茶」があります。

時代が変わり、便利なものが増えても、この山あいでは、豊かな自然とともに生きるための手仕事が今も続いています。

■本ページのお問い合わせ先
宮崎県 総合政策部 中山間・地域政策課 地域総合調整担当
TEL: 0985-26-7035
MAIL: chusankan-chiiki@pref.miyazaki.lg.jp

祖母・傾・大崩ユネスコエコパーク宮崎県エリアガイド

 

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