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西暦660年、朝鮮半島で滅んだ百済から逃れた王族が亡命したとされる美郷町南郷。伝説では、父親の禎嘉王(ていかおう)は美郷町南郷に、息子の福智王(ふくちおう)は木城町に住んだとされています。亡くなったのち、それぞれが神として祀られるようになり、約90km離れた父王を祀る神門神社と、木城町の比木神社の間で、親子の対面をする行事が続けられてきました。
昭和初期頃までは、全行程を9泊10日かけて巡行していましたが、その後、2泊3日に短縮されています。
1日目往路「のぼりまし」 / 比木神社を出発した一行は、日向市金ヶ浜で海に入ってみそぎを行い、東郷町(日向市)を通って南郷区へ向かう途中、数カ所で神事や神楽を行います。
2日目 / 神門神社で神事や神楽奉納
3日目復路「くだりまし」 / 別れの朝食を済ませると、かまどの墨を顔に塗り合う「ヘグロ塗り」が行われ、一行は帰路につきます。
1日目、一行が神門に入る頃は暗くなり、田んぼの中に竹や杉で組まれたやぐらに次々に火が付けられます。一行は燃え上がる迎え火に照らされながら神門神社に入ります。
2日目、午前中に御神体の衣替えの儀式が行われ、夜は神社境内の御神屋で18番の半夜神楽が行われます。
3日目、直会の儀式が終わると、かまどのヘグロを顔に塗り合って、楽しげな歓声が上がる中、比木神社一行は静かに神門神社を去っていきます。それに気づいた人々が、取るものもとりあえず、台所のザルやすりこぎなどを手に後を追い、「オサラバー」の声を上げ、別れを惜しみます。
いつから始まったかわかっていませんが、神門神社で発見された祭りに使う鉾など遺物から、1792年ごろにはすでに行われていたようです。
市町村 | 美郷町南郷 |
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開催期間 | 1月下旬 |
会場 | 神門神社 |
お問い合せ先 | 美郷町南郷支所 企画情報課 TEL:0982-59-1601 |
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宮崎県 商工観光労働部 観光経済交流局 観光推進課
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