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有限会社渡邊酒造場

宮崎市街地から車で25分。標高1118mの鰐塚山(わにつかやま)のすそ野に広がる田野町は、豊かな緑と済んだ空気、鮮烈な水系がもたらす清らかな水が自慢で、肥沃な大地が育む季節の野菜や果物が豊かに生産される町でもあります。特産品は漬物で、冬場には大根を干す大きな「大根やぐら」が建てられ、風物詩にもなっています。

エントツの写真

このエントツが目印。幹線道路からもよく見える

工場の写真

工場に入る。間近に見るとエントツの大きさに驚く。酒造場の趣きがいい

エントツの大もとの写真

エントツの大もと。レンガの一つ一つが年代を感じさせる

創業から90年。緑豊かな大地が生んだ焼酎

田野町市街地のちょうど入口にある渡邊酒造場。宮崎市街地から山之口町方面へ、左手に山並みを眺めながら車を走らせれば、雄大に広がる田園地帯を抜けたあたりに、時代を感じさせるレンガ造りの煙突が見えてきます。ここでは大正3年の創業以来、芋や麦を使った焼酎を造り続けています。

田野町で酒造場を開くきっかけは、初代がアメリカで20年間林業にたずさわった後、木の仕事の関係で豊富な林業資源のこの地に移り住んだことから。たまたま売りに出ていた酒造場を買い取り、焼酎造りを始めたのです。

こうして造り始めた焼酎は、初代から二代目、三代目につづき、現在の四代目幸一朗さんに引き継がれ、「田野町といえば焼酎は萬年」といわれるほど地元に根ざした焼酎になりました。

「飲んでもらえることがうれしいですね。焼酎といえばくさいというイメージがあり、味見もしてもらえない時期もありましたからね」と幸一朗さん。
『飲んでさえもらえば焼酎の良さは分かってもらえる、焼酎は絶対おいしい』の思いを胸に地道に造りつづけた焼酎が、現在、全国で飲まれ始めました。
「南九州の独自の文化ともいえる焼酎の価値が、関東で評価され始め、全国に広がったようです」と幸一朗さんは言います。

代表銘柄は『萬年』

黒麹・萬年、白麹・萬年。丁寧の写真

黒麹・萬年、白麹・萬年。丁寧に愛情込めて造られた、4代続く焼酎の味わい

自慢の焼酎を紹介してもらいました。『萬年』という縁起のいい名前の焼酎が代表です。
まずは、黒麹で造られた『黒麹萬年』。コクがあってキレのよい芋焼酎で、濃厚な味わいが自慢です。
飲みやすさでいえば白麹で造られた『白麹萬年』。やさしい味わいです。ほかに、麦焼酎の『萬年』もあります。

香りたつお湯割りで味勝負

「お湯割で飲んでもおいしい焼酎を造っていきたいですね。焼酎は冷やすと特徴が隠れます。お湯わりはごまかしがききませんから」と言われる幸一朗さん。杜氏の腕だけでなく、原料の芋や麦の良し悪しも、本格焼酎には敏感に味や香りの変化となって現れます。
この蔵で「二次仕込み」使用する原料のイモは「黄金千貫」、なんと自家栽培されています。農家に委託している蔵がほとんどである中、自家製のイモを使っている蔵は全国でも珍しいといえるでしょう。

「うちはできるだけ薬を使わないので、葉をイモムシに食べられてしまい、年によっては茎だけになることもあります」とは幸一朗さん。
「昔は今のような機械もなく、全て手仕事でした」とは3代目友美さんの奥様、真理子さん。田野町の肥沃な大地で、家族で大切に育てられたイモは新鮮で上質、この蔵の焼酎の味わいを支えます。

毎年9~12月、その年に収穫された芋を使い、昔ながらの蔵で造られる焼酎の味は、豊かな自然と歴史、そして蔵人が織り成す伝統の味わいかもしれません。2代目の一男さん、3代目の友美さん、そして4代目の幸一朗さんと四代続く焼酎『旭萬年』は、自然と人が造りあげた伝統の一品です。

左から3代目の友美さん、2代目の一男さん、4代目の幸一郎さんの写真

左から3代目の友美さん、2代目の一男さん、4代目の幸一朗さん

旧式ボイラーの写真

代々使われてきた旧式ボイラー。その横にあるのが還流式ボイラー。ここから工場全体に熱が送られる。この旧式ボイラーが残っているのは全国でも珍しいそうだ

麹を造るための大型のドラムの写真

麹を造るための大型のドラム

蒸留機と冷却の写真

蒸留機と冷却層、ここで焼酎が蒸留され製品となる

大正時代に作られた小売用のつぼの写真

大正時代に作られた小売用のつぼ。大正時代から戦前、そして戦後、酒屋さんは1合単位で焼酎を小売していたそうで、蔵元から酒屋さんにはこのつぼ焼酎が卸されていた。なるほど、住所と名前入り

有限会社 渡邊酒造場

  • 所在地/宮崎市田野町甲2032-1
  • 問合せ/TEL.0985-86-0014 FAX.0985-86-0504

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更新日:2011年12月1日

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