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岩倉酒造場

全国一の規模を誇る西都原古墳群がある西都市。
市街地から車で約10分ほどの三財地区に、月中(げっちゅう)という地名がある。戦後まで「月中の焼酎屋」と呼ばれて親しまれた岩倉酒造場を訪ねた。
岩倉酒造は、岩倉幸雄さん、奥さんの悦子さん、娘さん、息子さんの家族4人で年間二百六十石の焼酎を製造している。
今回は、「岩倉のお母さん」と呼ばれる悦子さんに工場の案内をしていただいた。
原料の芋は新富や児湯あたりの芋が運ばれる。届いたその日に洗う。
翌朝、6時には蒸し始める。1回に1トン半。14~15時には仕込みに入る。
芋は選別して、形を揃える。

岩倉酒造場の写真

岩倉酒造場

工場の写真

工場

工場内の写真

工場内

一次仕込みの部屋

ホーロータンクにしたのは、清潔にするため。底に穴が開いていて、中まできちんと洗うことができる。
これは、50年焼酎を作り続けたご主人が、使いかってのよさで選んだ。
ホーロータンクにはホースが巻いてある。
「ホースで水を出して、冷やす。外側が冷えたら、混ぜて全体を同じ温度にする。冷やしすぎないよう、熱すぎないよう」
仕込みは家族4人。
「本格的に仕込みが始まると、24時間。何といってもこっち(焼酎)が主役よ。息子が今年から夜も見るようになって、夜中にも来てるようですよ。8~10月の仕込みの時期は、朝も夜もありませんよ。家族全員覚悟してます」

ホーロータンクの写真

ホーロータンク

ホーロータンクの底の写真

ホーロータンクの底

二次仕込み部屋

「ほら、全体が動くでしょう。これが生きてる証拠ですよ。見てると、ほら、どんどん上がってくる。じきにぼこぼこ噴火するみたいになりますよ。まわりも飛び散ってくるんですよ。10~15分おきにこうなるんですよ」
「ほらほら。生きてますよね。芋もきれいな色してるでしょ。これが芋焼酎『月の中』になります」
二次仕込みは静かに10日~2週間ねかせて、それから蒸留。

二次仕込み部屋 の写真

二次仕込み部屋

『牧水』の写真  『牧水』の写真

仕込みをして1日目。表面の位置の違いがわかりますか。

製麹機

2階のドラムと呼ばれる機械で600kgの米を洗って製麹、そのまま1階に落とすようになっている。
「こうやって2階から階下に下ろすってのが夢だったんですよ。効率がいいでしょう?」
蔵は建て替えて3~4年。もとの建物にかぶせるようにして、一部2階建てにして、外にあった蔵も取り込んでいる。設計はご主人。せまくても効率よく、使い勝手よく。
「蔵を建て替えるのは、本当に迷ったんです。でも、自分たちだけでやる作業ですから、自分たちがやりやすいように、いろんな工夫をして、狭いながらも使い勝手は断然よくなりました」
ホーロータンクのまわりも板敷きにして、どの方向からも櫂が入れられるようにした。まんべんなく混ぜることもできるし、靴を脱いで作業するから清潔も保てる。
9月に仕込んだ芋焼酎は12月に出荷。

びん詰め

岩倉のお母さんに実演してもらった。
「昔からこれ使ってるのよ。全部手作業」

冷却中の芋 の写真

冷却中の芋

一次もろみ(酒母) の写真
一次もろみ(酒母)

上に載っているのは櫂棒の写真

上に載っているのは櫂棒

蒸留機の写真
蒸留機ホーロータンク内の温度は33.3度。だいたいこのくらいの温度。

2次仕込み中のタンクに内の温度 の写真

2次仕込み中のタンクに内の温度

ドラム の写真

ドラム

栓をする機械の写真

栓をする機械

貯蔵室 の写真

貯蔵室

インタビュー 岩倉のお父さん
岩倉幸雄さん

高卒であとを継いだ岩倉のお父さん。当時は、人も雇っていて、自分で焼酎づくりをすることはあまりなかったという。
結婚したのは昭和41年。それから何年後かに列島改造の嵐が吹き荒れ、年の半分が農家、半分が焼酎づくりという生活がなりたたなくなり、焼酎造り一本に。幸雄さんが作り始めた頃は、9割方ひとりでやっていたという。
昔は「月中(げっちゅう)の焼酎屋(しょうちゅや)」って言われよったんです。

岩倉幸雄さん の写真

岩倉幸雄さん

月中の焼酎屋

西都市下三財の月中神社。月中地区は小高い台地になっていて、中世のころ伊東家の藩主がここから月見をした、月の名所だったことからついた地名だとか。
岩倉醸造所の「月の中」という焼酎は、この地名からつけたのだという。
月中神社の前で、お会いした三崎道男さん。
「昔、私も岩倉さんで働いてたこともあるんですよ」
そりゃまたご縁があります。

月中神社の写真

月中神社

神社の前の畑でお会いした三崎道男さんの写真

神社の前の畑でお会いした三崎道男さん

私で4代目。長男だからあとをとるのが当たり前だと思ってましたよ。代々伝わってきた焼酎ですから、お客さんのために作り続けないとね。
ひいじいさんのころ、近在の焼酎屋(醸造元)が集まって、三財酒造株式会社というのを作ったことがあったんですよ。でも、それもうまくいかなくて、結局ひいじいさん(初代)が引きうけることになって、三財の醸造所はウチだけになりました。
昭和20年以前、戦前は、どこも焼酎といえば米焼酎だったんです。小作に貸している田んぼからの上納米で造るから米焼酎。それが、戦後の食糧難で米がなくなって、仕方なく芋を原料にするようになったんです。
だから、芋焼酎の歴史はまだ浅い。技術的にも、完成度が低くて、それだから「芋は臭い」とか言われてきたんですよ。
家族で焼酎を造るってこと…。今があるのは、家内がいて、家族がいたから。ひとりではできなかったことを、ふたりでやってこれたんです。今は子どもたちもいる。本当に幸せだと思う。

インタビュー 岩倉のお母さん
岩倉悦子さん

裏のラベルの写真。その焼酎に合ったおつまみと飲み方の情報が

焼酎屋でよかった、って思いますよ。
あの時は大変だったね、って言える人生がいいですね。そう言えるのは今があのころよりいいって証拠でしょ。
今、焼酎ブームで、あちこちから欲しいと問合せがあるけれど、芋二百石、麦六十石。家族だけでは、これだけしか造れないんです。
これまで蔵が潰れるかと思うほど焼酎が売れない時期もあったけれど、その時期を支えてくれた酒屋さんたちがいるんです。主に関東の酒屋さん。そんな人たちが蔵を助けてくれたんです。その感謝は忘れません。
きちんと自分たちで納得のできる焼酎を造り続けていきたいから、いまできるだけのことを、精一杯やっていきます。
主人はもう70歳になるけど、まだまだ焼酎を作ると言っています。ほかの勤めてきた人は、もう定年で、これからどうしようかって歳なのに、はつらつとしてますよ。意気揚々とまだ登ってますもんね。
10年前に主人が大ケガをして、一時はどうなるかと思ったこともありましたけどね。それでも、家族で支え合って、やってきたんです。ホント、焼酎屋でよかった。

岩倉酒造場

  • 西都市大字下三財7945
  • 問合せ/TEL.0983-44-5017

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更新日:2011年11月29日

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