神話街道 神のいた里 西都 ここで何があった? なぜこんなに神様がたくさんいた? 21世紀になっても謎はそのまま……。
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八尋殿(やひろでん)

逢初川で出会ったニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの新居として建てられた御殿跡。縦横各八尋(約15m)の家であったことから、八尋殿と呼ばれたとか。タテヨコ15mだと、建坪が約68坪。平屋の68坪は、立派な御殿だったろう。西都原の古代生活体験館前にある竪穴式住居を思い出した。

西都市観光ボランティア・ガイド 甲斐豊さんの写真甲斐さん(談)
「ここは飛び地で、地名が妻なんです。昔から『妻園(つまぞん)』って呼びよったですよ。子どもの頃はもうこんな石碑があるくらいでしたね」


八尋殿の写真
八尋殿

西都原古代生活体験館前にある竪穴式住居(復元)の写真
西都原古代生活体験館前にある竪穴式住居(復元)

無戸室(うつむろ)、児湯の池(こゆのいけ)

八尋殿で新婚初夜を過ごしたニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ。ミコトは翌日、地方を荒らしていた賊の征伐へ旅立ち、数ヶ月後に戻ると、ヒメは臨月を迎えていた。ミコトはヒメの不倫を疑うが、ヒメは四方出口のない産室を作らせ、「ここに火を放ってお産をする。ミコトの子ならば、無事に産まれましょう」と産室に入る。こうして産まれたのがホオリノミコト、ホスセリノミコト、ホデリノミコトの3人の皇子だった。

無戸室の向かい側には3人の皇子が誕生した時に産湯を使ったという児湯の池がある。昔、水の濁った沼地が多かった場所だが、ここだけはきれいな水が湧いていたことから、産湯として使ったという話。これが児湯郡の地名の由来と伝えられ、地元の人たちは「洗い子(あれんこ)」と呼んだ。

西都市観光ボランティア・ガイド 甲斐豊さんの写真甲斐さん(談)
「ここは『ひじゅうどん』と呼んでました。漢字で書くと火柱殿らしいですよ。火を放ったときに火柱が上がったんですかね」

昔話をしながら、甲斐さんはこんな話も。「ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは、いわば天の神と地の神の結婚で、日本と外国の国際結婚のようなもの。反対も多くあったんじゃないでしょうか」
無戸室の写真
無戸室

児湯の池 の写真
児湯の池

児湯の池のコイの写真
児湯の池のコイ。人の気配で寄ってくる

石貫神社(いしぬきじんじゃ)と鬼の窟(おにのいわや)古墳

石貫神社は、コノハナサクヤヒメの父・オオヤマヅミノミコトを祀る。ここと、西都原古墳群の代表的な古墳のひとつ「鬼の窟古墳」の話が面白い。

悪さばかりして人々を困らせていた鬼がコノハナサクヤヒメを見初め、父のオオヤマヅミノミコトに嫁に欲しいという。そこでミコトは鬼に難題を吹きかけた。

「明日の夜明けまでに大きな塚を造れ」と。

鬼はすぐに塚(古墳)造りに取りかかり、やがて完成した塚に安心した鬼は、うとうとと寝てしまった。そのすきにミコトは天井石を一つ抜き取って草むらに隠してしまった。

やがて一番鶏が鳴いて、鬼も目覚め、ミコトと一緒に完成した塚を見に行ったが、天井石が一つ足りない。ミコトは塚が未完成なのを理由にヒメとの縁談を断った。

実際の鬼の窟古墳は、加工した切石を積み上げた石室があり、天井石は畳2枚分ほどの大きな石が乗っている。面白いことに、天井石がひとつ足りないのだそうだ。石貫神社の参道入り口には、ミコトが抜き取ったという石がある。

この石は、西都原から約30km離れた都農町の名貫川上流の石だとみられている。重機もない時代に、どうやって運び、加工し、積み上げたのか。とんでもない大工事だったはず。とても人間業ではない、ということから「鬼」の名が付いたらしい。

西都市観光ボランティア・ガイド 甲斐豊さんの写真甲斐さん(談)
「鬼の窟にはもうひとつ説があるんですよ。ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメをもらいに行ったとき、父親のオオヤマヅミノミコトと力比べをして、ニニギノミコトが勝ってヒメをめとった、という話とね」

石貫神社の写真
石貫神社
神社の鬼瓦に木彫りの鬼の写真
神社の鬼瓦に木彫りの鬼。装飾性の高い建築物は仏教の影響を受けているという
神社入口にある石の写真
神社入口にある石。鬼の窟から抜かれた石だとか
石貫階段の写真
石貫階段はキャンプ中のヤクルトスワローズの選手が練習に使うことでおなじみ。昭和15年頃、石貫神社の信者だった鉱山主が、落盤事故の供養のために奉納したもの
バス停も「鬼の窟」の写真
バス停も「鬼の窟」
石貫階段を上ってすぐのところにある90号柄鏡式古墳の写真
石貫階段を上ってすぐのところにある90号柄鏡式古墳が大山祇陵といわれている
鬼の窟古墳の写真 鬼の窟古墳。この地域最後の豪族の首長の墓と伝えられる。6世紀前半に造られた直径37m、高さ7.3mの円墳。現在その全容が復元され、西都原古墳群のシンボルとなっている



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