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五智如来像。左から、宝生如来、薬師如来、
大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来 |
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西都原の大地のふもとにある三宅地区に、「日向国分寺跡」はある。ここに天明8年(1788)、一人の僧がやってきた。木喰上人だ。一角にある「木喰五智館」に入ると五体の巨大な仏像が微笑みかけてくる。
山梨県で生まれた木喰上人は、56歳で日本廻国の志を発起し、71歳の時に日向国分寺に到着した。請われて住職になるも3年目、寺は火事に見舞われる。木喰上人は、再興の一環として仏像を彫った。ふくよかな頬、大きな鼻、厚い唇。五智如来像は、三宅の住民の顔に似てると言われる。最盛期には200メートル四方もあったという日向国分寺。木喰上人が再興した寺はどのような姿だったのだろうか。今も、住民は五智如来像に日々の安寧を祈る。 |
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西都市街の南西にある都於郡は、中世、伊東氏が約200年間、居城した場所だ。南北朝時代、祐持が築城して伊東氏の都於郡での歴史が始まる。十代城主、伊東三位入道義祐の頃には日向のほとんどを治めて全盛を極めた。
標高104メートルの都於郡城址は、本丸跡、二ノ丸跡、三ノ丸跡、西ノ城跡、奥ノ城跡の五つの曲輪に分かれている。西に位置する三ノ丸跡に登ると、なるほど、よくここに城を築いたものだ、と思う。西都の街を見下ろし、北西には九州山地が街を取り囲むように連なっている。はるか西には高千穂の峰。城下には三財川。天然のお堀である。城主たちは、あの山の向こうまでも手に入れたいと野望を抱いたのだろうか。
伊東氏は、城の周りには出城や寺院を築き、都於郡城を中心とした町づくりを行った。北の守護神として祀った山路毘沙門天、菩提寺である黒貫寺、墓のある大安寺など、都於郡周辺には、伊東氏にまつわる寺や史跡が残っている。
幸いにも、都於郡城は攻められることはなかった。しかし、木崎原の戦いで島津軍に大敗したのをきっかけに伊東軍の士気は衰える。天正五年(1577)、豊後落ち。落ち武者の中には、わずか8歳の伊東マンショもいた。季節はちょうど今頃、雪のちらつく厳寒の時期だった。今も豊後落ちの道を歩く人々がいる。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの神話の昔。巨大な古墳を作らせた古代文化。国衙と日向国分寺が置かれた奈良・平安時代。そして伊東氏の興亡。西都の大地に立ち、盛衰の歴史に思いを馳せたい。
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木喰仏の微笑みに魅せられた5人の女性が、県内の木喰仏の仏像や書画を尋ね歩き、一冊にまとめ上げた。ガイド本としても重宝する一冊。
木喰スマイル会著/1200円
問合せ:鉱脈社 TEL:0985-25-1758 |
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