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50の物語集 神話編

神武天皇幼少時の伝承地

県内には、神武天皇の幼少時の名前である「狭野尊(サノノミコト)」に由来する「狭野」の地名が残る高原町をはじめとして、神武天皇にまつわる伝承地が数多く残されています。
ここでは、「ひむか神話街道」沿線にある主なものを紹介します。

【狭野(さの)神社】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の生誕地として伝えられています。「狭野」の名は神武天皇の幼名「狭野尊(サノノミコト)」に由来しているといわれています。
また、参道沿いのスギ並木は国の天然記念物に指定されています。

【産場石(うべし)】(高原町)
皇子原公園内の皇子原神社にまつられている石で、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が誕生された際に、産湯を使われた場所であるといわれています。この石の表面をなでると安産になるともいわれています。

【血捨之木(ちしゃのき)】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が誕生された際に、母タマヨリヒメが諸物を洗い清めた場所といわれています。

【宮の宇都(みやのうと)】(高原町)
ウガヤフキアエズの皇居のあったところで、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が父とともに幼少時代に住んだ跡といわれています。

【祓原・祓川(はらいばる・はらいがわ)】(高原町)
祓原はカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が誕生された際に体を祓い清められた場所といわれています。祓川は祓原から流れ出る川で、神武天皇がお祓いをする際には、この川の水を汲み使われたといわれています。[写真は祓川]

【御腰掛石(おこしかけいし) 】(高原町)
皇子原神社へと続く石段横にあり、この地に生まれたとされるカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が腰掛けられたといわれています。

【皇子港(おうじみなと) 】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が幼少時に水浴びなど、よく遊んだ場所といわれています。御池に7つあった港の一つで、高千穂峰を正面に望む景勝の地です。

【狭野渡(さのわたし) 】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)がこの地を出発し、東の方へ行かれる際に、最初に渡った川といわれています。

【馬登(まのぼり) 】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)がこの地を出発し、東の方へ行かれる際に、初めて馬を召されてお乗りになったところといわれています。

【鳥居原(とりいばる) 】(高原町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)がこの地を出発する際に、最後の別れを惜しむ住民たちが鳥居を建てて、行路の安全を祈りながら見送ったところといわれています。

【駒宮(こまみや)神社 】(日南市)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)がアヒラツヒメを妻に迎えて住まわれた宮の跡と伝えられています。
愛馬「龍石」の伝説や愛用の鉾を納めたとされる「御鉾の窟(みほこのくつ)」があり、また、日向シャンシャン馬発祥の地としても知られています。

【 駒形石(こまがたいし) 】(日南市)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が海辺で釣りをしていたときに白髪の老人から与えられた愛馬「龍石」の足跡が残されたものといわれています。

【駒つなぎの松跡】(日南市)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が鵜戸の父ウガヤフキアエズに会いにいくたびに、愛馬「龍石」をつないだ場所といわれています。

【吾平津(あひらつ)神社】(日南市)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の最初の妃アヒラツヒメを主祭神とし、通称「乙姫神社」と呼ばれています。
アヒラツヒメは神武天皇の東征には同行せず、この地でその成功をお祈りしたといわれています。

【皇宮屋(こぐや)】(宮崎市)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が東征に出発するまでの宮居の跡といわれています。
すぐそばに「皇軍発祥の地」の石碑が建てられています。

【 生達(そだち)神社 】(日南市北郷町)
カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が東征に先立ち、妻アヒラツヒメとともに立ち寄られたところといわれています。また、神武天皇が4才のときから育てられた場所ともいわれています。

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