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50の物語集 伝説編

神話・伝説のこぼれ話

第三十八話 こぼれ話 【西都市】【宮崎市】【宮崎市佐土原町】

景行天皇(けいこうてんのう)のクマソ征伐(せいばつ)

第十二代景行天皇は、日本書紀によると、六年間にわたって、日向(ひむか)に滞在したと記され、次の話が伝えられています。

〜ある年、九州南部に住むクマソの一族が朝廷に反抗し、みつぎ物を差し出しませんでした。

景行天皇はクマソを討(う)つことを決め、みずから軍を引き連れ、九州へ向かいました

そして、豊後の国(今の大分県)を通って、日向の国に入ると、「高屋宮(たかやのみや)」という仮の住まいを建てました。

ある日、天皇はクマソを討つ作戦を考えていました。

「聞くところによると、クマソにはクマソタケルという強者(つわもの)がいるらしい。何かうまく倒(たお)す方法はないものか」

すると一人の家来が進み出て言いました。
「クマソタケルには二人の娘がいます。この娘にたくさん贈り物をして味方につけましょう」

「それは良い考えだ」

天皇はそういうと、二人の娘のうち姉のイチフカヤを味方につけることに成功しました。 イチフカヤは言いました。

「私に良い考えがあります」

イチフカヤは家に帰ると強いお酒をたくさん用意して父クマソタケルにそれを飲ませるとクマソタケルは酔(よ)ってぐっすり寝てしまい、その間に天皇の兵によって殺されてしまいました。

クマソタケルを失ったクマソ一族は、勢力を失い、その半年後には天皇によって完全にほろぼされてしまいました。

また、景行天皇はミハカシヒメという美しい女性を妻に迎(むか)え、トヨクニワケノミコという名の男の子をもうけました。トヨクニワケノミコは日向を支配した「国造(くにのみやつこ)」の先祖といわれています。

また、あるとき、天皇は児湯(こゆ)地方に出かけ、そのとき、東の方を見て、こう言いました。

「この国はまっすぐに日の出る方に向かっている」

それでこの地方を名付けて「日向(ひむか)」というようになったそうです。

このように、いろいろなことがあり、気がつけば景行天皇が日向にきてから、はや六年の月日が過ぎていました。天皇はいよいよ都に帰ることになり、出発した翌年に無事に都に着いたということです。

※神さまメモ「クマソ」
クマソは「熊曽」「熊襲」とも書き、地名です。「クマ」も「ソ」も九州南部地方をさします。クマソを支配する勇者が「クマソタケル」です。
※神さまメモ「国造(くにのみやつこ)」
古代大和朝廷に服属(ふくぞく)した地方の首長の身分のことです。

【黒貫(くろぬき)寺】(西都市)
クマソ征伐のため、この地を訪れた景行天皇が6年にわたって滞在した「高屋宮(たかやのみや)」の跡と伝えられています。
14世紀以降の伊東氏が都於郡(とのこおり)を治めた時代には日向国第一の寺として栄え、伊東氏没落後も島津家の保護を受け大いに栄えました。

【高屋(たかや)神社】(宮崎市)
景行天皇、ホオリノミコト(山幸彦)、トヨタマヒメを祀り、黒貫寺と同様に景行天皇が滞在した「高屋宮」の跡と伝えられています。
神社の西側に小高い丘があり、日本書紀で記されている山幸彦の御陵の「日向の高屋山上陵」はこの地であると伝えられています。

【巨田(こた)神社】(宮崎市佐土原町)
本殿にはタマヨリヒメを中心に右に神功皇后、左に応神天皇を祀っています。本殿は室町時代の「三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)」の建築様式で、南九州では貴重な存在として22枚の棟札(むなふだ)とともに、国の重要文化財に指定されています。境内には景行天皇が腰掛けたという石もあります。

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