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50の物語集 伝説編

第三十四話 南郷村の百済王|美郷町南郷区

(うみ)(わた)ってきた百済(くだら)王様(おうさま)

今から千三百年ほど前、朝鮮半島にあった百済(くだら)という国がほろぼされ、王の禎嘉王(ていかおう)は、長男の福智王(ふくちおう)、次男の華智王(かちおう)とともに日本に逃げてきました。

王の乗った船は最初、安芸(あき)の国(今の広島県)に着きましたが、禎嘉王は新たな生活の地を求めてふたたび船で九州を目ざしました。

しかし、途中、はげしい嵐におそわれ、禎嘉王と華智王を乗せた船は日向の金ヶ浜(かねがはま)に、福智王を乗せた船は高鍋の蚊口浦(かぐちうら)に流されてしまいました。

「さて、これからどこに向かえばよいものか」

禎嘉王と福智王は、それぞれ、これからの行き先を占ってみました。すると禎嘉王は「ここから七十八里の山中(今の南郷村の神門(みかど))」とでました。また、福智王は投げた球が「木城の比木(ひき)」まで飛んだので、二人ははなればなれのまま、そこに移り住むことにしました。

しばらくの間、静かで平和な日々が続きました。

しかし、禎嘉王の居場所(いばしょ)をつきとめた敵の軍が本国から押し寄せたため、これを迎(むか)えうった禎嘉王の軍と東郷の伊佐賀(いさが)ではげしい戦いがくり広げられました。

禎嘉王には土地の豪族も味方についていましたが、なにぶん、兵は少人数です。多くの兵が命を落とし、敗戦が決定的だったそのときです。福智王が軍をひきいて駆(か)けつけ、敵をことごとく倒(たお)してしまいました。

しかし、この戦いで、華智王は戦死し、その後、禎嘉王も戦いのさなかの流れ矢の傷がもとで死んでしまいました。

村人たちは、百済の王の一族の死を悲しみ、禎嘉王は神門に、華智王は伊佐賀に、また、のちに比木で亡くなった福智王はその地に、それぞれ異国の神としてまつったということです。

※神さまメモ「師走(しわす)まつり」
禎嘉王、福智王、華智王の百済王族の親子の年一度の対面を再現する祭です。福智王をまつる木城町の比木神社から禎嘉王をまつる南郷村の神門神社までの九十kmを巡行しながら二泊三日で移動します。毎年、旧暦十二月に当たる一月下旬に行われます。

【神門(みかど)神社】(美郷町南郷区)
百済の禎嘉王を祀っています。毎年1月に禎嘉王と福智王の親子対面の祭り「師走祭り」が行われるほか、神社本殿は国の重要文化財の指定を受けています。また、社宝の銅鏡33面の中には奈良の正倉院所蔵の品と類型の「唐花六花鏡」も含まれています。

【塚の原古墳】(美郷町南郷区)
伊佐賀の戦いの際に受けた流れ矢の傷がもとで死んだ百済の禎嘉王の墓といわれています。
毎年1月に行われる師走祭りでは、東郷町の伊佐賀神社で年に一度の対面を果たした百済王の親子が神門神社に向かう途中にここに立ち寄り、神事がとり行われます。

【あぶら田】(美郷町南郷区)
禎嘉王に味方した地元の豪族「どん太郎」さんが、猪や鹿の肉を王にさしあげようとさばいたところ、獣のあぶらと血が流れて川(今の小丸川)が真っ赤ににごったため、この川の周辺一帯を「あぶら田」というようになったといわれています。東郷町との町境付近の国道446号線沿いにあります。

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